腸内洗浄(コーヒーエネマ)の生みの親Dr.マックスゲルソンについてPart 2

脊髄手術を成功させるマックスゲルソン
LINEで送る
LinkedIn にシェア

初めて兵士の脊髄手術を成功させる

1908年27歳の時、ドイツ医師国家試験に合格し、33歳~37歳においては、ドイツ陸軍軍医として著名な神経外科医のフォースター教授のアシスタントとして麻酔を担当していました。
そこでゲルソンが目にした光景は、教授による兵士たちの脊髄手術では例外なく手術中に患者が死んでいく姿でした。また、その際兵士たちの脊髄液が毎回染み出てくるのを観察していてゲルソンは仮説を立てたのです。
『切開する箇所が頭や背骨よりも低くなっているので重力で自然に脊髄液が失われるのだ。切開箇所をそれよりも少し高くすれば脊髄液は失われることなく患者は助かる。』と。
ゲルソンは自分の立てた仮説をフォースター教授に説明して手術法の改善を提案しました。
それを実施した結果、初めて兵士の脊髄手術は成功して命が助かったのでした。それ以降脊髄手術で命を落とす患者はいなくなりました。その後、この手術法がドイツでは標準化され、フォースター教授の名声はさらに上がることになります。しかし、ゲルソンの名はどこにも出てきませんでした。

クワドロナル錠剤の特許使用料未支払いの裁判

1920年39歳の時、患者の血液や細胞組織に不足しているミネラルを組み合わせたクワドロナル錠剤を開発し、アスピリンの代用薬としてドイツの広範囲で使用されるようになります。
製造販売元の製薬会社は、この錠剤で世界的な売上を占めることになりましたが、ゲルソンに特許使用料の支払いを拒否して裁判で争うことになります。5年におよぶ裁判の途中で、相手方の絶対に払わない態度を見てゲルソンは『無益な争い』と判断します。そして裁判を辞めてしまいます。
その後40年間、その会社はクワドロナル錠剤をメイン製品として、南アメリカやアジアにおいて1980年代まで販売した結果巨万の富を得ることになります。そして1933年、クワドロナル錠剤はペルー政府から薬の最優秀賞を受賞しました。
しかし、ゲルソンに対してはたったの1ドルさえも支払われることはありませんでした。





コーヒーエネマ HABIT

関連記事

ゲルソンのガン治療

腸内洗浄(コーヒーエネマ)の生みの親Dr.マックスゲルソンについてPart 13

肺結核を骨に転移させた男性患者も食事療法で完治

腸内洗浄(コーヒーエネマ)の生みの親Dr.マックスゲルソンについてPart 4

偏頭痛食事療法を指導

腸内洗浄(コーヒーエネマ)の生みの親Dr.マックスゲルソンについて Part 3

重症のリュウマチ患者もゲルソン療法で完治

腸内洗浄(コーヒーエネマ)の生みの親Dr.マックスゲルソンについてPart 7

ニューヨーク科学アカデミーの栄誉会員ゲルソン博士

腸内洗浄(コーヒーエネマ)の生みの親Dr.マックスゲルソンについてPart 16

快復する末期ガン患者のゲルソン療法

腸内洗浄(コーヒーエネマ)の生みの親Dr.マックスゲルソンについてPart 14

コーヒーエネマ HABIT