食事療法によって結核患者450名中446名が完治!
Dr.ザウアーブルーヒは、ゲルソンがミュンヘンに着くと直ぐにミュンヘン大学の医師たちらを前に講演をして欲しいと依頼しました。ゲルソンはそのリクエストに応えて90分ほどの講演会で食事療法について話をしたのですが、ゲルソンの講演を聞いた医師たちらの反応は『栄養学なんか医学より下だ!こんな話は医学大学でする価値はない!彼は実験室や助手すら持っていないし政府から何の援助も受けていないじゃないか!そんな町医者に不治の病など治せるわけがない!』といったとても冷たいものでした。しかし、Dr.ザウアーブルーヒ本人の反応は違ったのです。自分と共同研究している2人の教授をすぐさまゲルソンの下に送り込んで実際の現場を視察させたのです。そして、両教授から本当に結核患者や偏頭痛患者が治っているという事実の報告を受けると、ゲルソンに対し『ミュンヘン大学病院で君の食事療法の臨床実験をしたい!』という電報を打ちます。もちろんゲルソンは快諾して再びミュンヘンへ向かったのです。
この臨床実験のために政府から仮設病棟とベッド60台が用意され、ミュンヘン市内の3つの大学病院から『ゲルソン食事療法』を受ける患者が集められたのですが、選び抜かれて集まった患者は、死ぬ寸前かあとはもう死ぬばかりで手の施しようがないと医者から匙を投げられた状態の患者ばかりでした。それを見たゲルソンは『医学書でしか見たことのないような最悪の状態の患者ばかりをよくこれだけ集めたものだ。』と思わずため息をついてしまいます。Dr.ザウアーブルーヒからは『これほど酷い患者が完治することはあり得ないので、たった一人でも僅かな改善が見られればそれだけで君の食事療法を認めるよ。』と言われます。
そしていよいよゲルソン食事療法が始まったのです。
塩も油も一切使わないまったく味気のない食事療法なので、病室には患者たちが逃げ出さないよう鉄格子も取り付けられたほどでしたが、次第にそれを続けていく患者たちの容態がDr.ザウアーブルーヒらの意に反して改善していったのです。
そしてついに『食事療法によって結核患者450名中446名が完治!』といった驚異的な実験結果が医学誌に発表されます。
その後、Dr.ザウアーブルーヒは臨床実験で完治した結核患者たちを伴い、ベルリンでその成果を大々的に発表したところ『ドイツを代表する権威』といった称賛を独り占めすることとなります。ところが、インタビューに答えるDr.ザウアーブルーヒの言葉の中に『ゲルソン』の名前が出てきたのを聞き逃さなかった新聞記者たちは逆にゲルソンに大注目したのです。そして翌日の新聞には、Dr.ザウアーブルーヒのことではなくゲルソンが大々的に掲載され、電話・電報・講演依頼が殺到することとなったのです。