腸内洗浄(コーヒーエネマ)の生みの親Dr.マックスゲルソンについてPart 9

結核治療法のマックスゲルソン
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『ゲルソン食事療法』が結核治療法として標準化される

10年以上もの間、ゲルソンに対する周りからの嫌がらせが収まる気配はありませんでした。

1930年49歳、ヨーロッパにおいては『ゲルソン食事療法』が結核治療法として標準化されるようになり、カッセルの市立病院には『ゲルソン結核サナトリウム』も用意され、ここでは患者さんのみならず、働く看護婦さんたちも全員『ゲルソン食事療法』を実践していたため結核に感染する人は一人もいませんでした。その後ゲルソンはドイツのプロシア厚生省のコンサルタントに就任してベルリンでMY DIET(私の食事療法)という本を出版します。

肺結核が完治してしまう

同年7月、ノーベル賞を受賞したアルバートシュバイツァー博士の奥様のヘレンさん(43歳)が肺結核の末期患者として医者から見放され、ゲルソンの噂を聞いて『ゲルソン結核サナトリウム』にやって来ました。すぐさま『ゲルソン食事療法』を始めたところみるみるうちに夫人の容態は快復していき、ついには肺結核が完治してしまうのです。諦めかけていたご本人とシュバイツァー博士を大変驚かせます。

1932年51歳、シュバイツァー博士が不治の病から妻を救ってくれたゲルソンに会いに来たことを境に、二人は同業の医者としてお互いに尊敬しながら生涯に渡って付き合い始めていくこととなります。ところが、シュバイツァー博士がフランクフルトで行った講演会の中でゲルソンのことを称賛すると、参加していた医者たちから猛反発を受けてしまうことになります。

1933年3月31日52歳、ゲルソンは医者としての名声の頂点に達しようしており、5月5日にベルリンで開催されるドイツ医師会での『ゲルソン療法』の発表の打ち合わせを明日(4月1日)に控えていたちょうどその夜、親戚でもある弁護士のアドラーからとても緊迫した様子で1本の電話がかかってきました。『良く聞いてくれ!明日の打ち合わせは明日ではなく必ず今夜中に済ませるのだ!』ゲルソンが『どうしてだ?』と問い返すと『電話では説明できない!大真面目だ!とにかく今夜中に打ち合わせは済ませるのだ!』と言われ、まるで盗聴でも恐れているかのように直ぐ電話を切られてしまったのです。ゲルソンはこの事態を到底理解できないまま最終列車に間に合わせるためにタクシーに飛び乗り、間一髪のところで最終列車に間に合います。ゲルソンが列車に飛び乗ると直ぐに動き出し、窓側の席を探したのですが見当たらず、空いていたのは人が出入りする度に邪魔になるようなドアの直ぐ前にある真ん中の席一つだけでした。ゲルソンは仕方なくこの席に座ったのですが、この席に座ったことでゲルソンは数時間後に命を救われることとなるのです。





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